2026年9月のメモ番外編「野仏散歩ー富山の猪谷にて」
所用で富山県に行く縁を頂き、折角なのでどこか見ようと。
「富山県の歴史散歩」という本をパラパラめくっていたら、なんと円空仏が見られるではないですか。
そして、その周りには道祖神を含む野仏が沢山見られる道があるという。
私は小さい頃のとある体験から道祖神、特に双体道祖神に思い入れがあります。
円空の彫ったものも好きだし、円空研究者の長谷川公茂さん(はせがわ まさしげ 1933〜2023)は尊敬する人物のひとりです。
そんなわけで是非この地域を訪れたいと思い、数日前に豪雨に襲われた富山へ、複雑な気持ちとともに出かけました。
目的地は富山駅から高山線で50分ほど南に行った猪谷(いのたに)というところ。
飛騨高山や白川のほうにも通じる一本道があるため思ったより交通量が多かったですが、それ以外はとても静かな場所です。

この写真だと、山しか無いじゃんと思うかもしれませんが、、
国土の66%が森林である日本は、このような風景が実は大半なのだと思います。
北欧の森の国という印象のあるフィンランドの森林率が73.7%、スウェーデンが68.7%ですから、日本もなかなかの森の国です。
この写真に見えるのは、あの神通川。昔はここの両岸を蔓で編んだ籠に乗って行き来していたというから驚きです。(その様子は広重の浮世絵「六十余州名所図会 飛騨籠渡図」にもなっています。)
駅を出て、この川を渡ると野仏の地図がありました。

ここ猪谷は江戸時代、越飛交通(越:富山県南部、飛:岐阜県飛騨地域)の要として関所があった場所。飛騨からの文化が流入する入り口だったため、この地帯に石仏群があるとのこと。石仏群は地図の上側(神通川の右岸)にしかないのは、右岸は浄土宗・禅宗地域で、様々な信仰の流入に大らかだったから、らしいです。(川の反対側の地域:は法華宗地域で、他信仰には厳しかったとのこと)
次の電車までの1時間半弱の間に、歩きで行かれるところまで行って帰ってくるという計画でしたが、運良く自転車しかも電動アシスト付きが借りられたので、想定より沢山の野仏を見ることが出来ましたし、双体道祖神にも多く出会えました。


こちらは最も個人的に盛り上がった、双体道祖神が沢山集合した祠です。

道祖神は、石に「道祖神」と文字だけ彫られたものや、上記の写真のように男女の像が彫られたものがあり、それらを「双体道祖神」と呼びます。
双体道祖神は長野、群馬、神奈川に多く、一体いつ頃から作られ始めたのかは、参考になりそうな本(※)にもはっきりとしたことは言えないとの記載。
その理由が「小正月の道祖神祭りの折に、子供たちに縄をつけられて引きずられたり、どんどの火の中に投げ込まれたり」したことに加え、石の素材の良し悪しや設置状況から、摩耗や損傷が激しいため、制作年の記載が読めないものが多いから、だそう。わかっているもので、寛永年間(1624〜44)、寛文年間(1661〜73)のあたりのものが最も古そうだとのことで、1603年から始まる江戸時代から作られ始めたのではないか、ということです。
しかしまぁ、子供たちが道祖神に綱をつけて村を引きずりまわしている・・なんとのどかな風景でしょうか。
今回見た猪谷地区にあった石仏は、資料によると最古のもので1691年、1624年ごろのものだそう。双体道祖神に関しては、1820年が最古、最新が1914年とのこと。
写真に撮った中で年号が鮮明に見えたものこちら。左が大正6年(1917年)、右が文政13年(1830年)のもの。1917年だと資料の最新より新しい気もしますが、気にせず。

そもそも道祖神はなんのために?というと、道ゆく旅人の安全の神様かと私はずっと思っていたのだけど、もっと深いものがありました。
まずは日本古来からの石そのものへの信仰、浄土宗と地蔵菩薩のこと、男女の像である意味・・などが絡み合っているので、私にはここで簡単にまとめることは難しいので書きません。

つくづく日本の懐の広さを感じるのは、仏教の像、神道の像やその他の信仰にまつわる像が混在していたこと。
この像が何の宗教に由来するかよりも、それらが傷まないように屋根のついた場所をこしらえ、湯呑みに水を入れてお供えする。
それで良いではないですか。
色々な像がひとつ屋根の下に沢山おさまっている姿は微笑ましいものがありました。
野仏の道の脇には、とても自然なひまわり畑も。誰に愛でられるわけでもなく。

三夜様。こちらもスマホで調べればそれらしいものが出てくるには出てきますが、正しい正体を知るのは一筋縄では行きません。

円空の彫ったものも資料館で沢山見ることが出来ました。
こんなに普通にどっさり飾っちゃう?というぐらい、上野の美術館などでは多分考えられない飾り方で、それがまたよかった。
しかも地区のお祭りの日だったので無料で見ることが出来ました。お祭りでも、焼きそばなどの屋台とともに「円空彫実演」の宣伝のもと円空風にざっくりとした木彫の実演が行われていたり、円空風の小さな木彫りのストラップが売られていたり・・円空やその仏像は地区にとても親しまれている感じがしました。
昨今言われ始めたように、人間はやはり予想以上に早く滅亡してしまうんでしょうか。
北の国からの五郎さんのような生活を選ばない限り、私もその緩やかな滅亡の流れに乗っているし加担もしているので、私たち人間は緩やかな集団自決をしているところなのだなぁ・・と、東日本大震災あたりから、ずっと考えていました。
だから美しい自然や、こういう石仏のように、人間が連綿と守ってきたものを見ると、嬉しくて悲しくて寂しくて。
※山崎省三「道祖神は招く」,新潮社,1995



お話 とてもためになりました。
しかし、、道祖神に縄をつけて引きずりまわす子供なんざあ、なんという罰当たりなアホタレ小僧なのでしょう!!笑
だけどいいなあ、これぐらい元気でワイルドな子供には何だか妙に共感してしまいますね 小さい時分の僕だったらきっとその遊び?の仲間になってますね。
一緒に道祖神巡した気分になりました。
ありがとうございました!
(ちなみに円空は大大大好きです)
Fujisawa28gouさん > いつも私の長い投稿を読んでくださって有難うございます。
私は小さい頃、長野の山奥で道祖神に祖父の命を助けてもらった経験があるのです。(これはまたいつかお話しします・・^^)
引きずり回されるのはかわいそうですが、日常にかみさまが垣根なく溶け込んでいる感じが、なんだか良いなと思いました。