森の勉強を始めたわけ①

2023年6月22日の新聞記事より。

厚木の森林公園にてツキノワグマの雌が罠にかかり、放す場所が無いので捕殺されるというニュース。

自然に返すための世話を引き受ける自治体がないから殺したのだそうだ。しかも、当初罠をかけていた目的は、花壇を荒らすイノシシの駆除だったという。私とほぼ同じ体重のツキノワグマの捕殺を伝えたこの記事は、卵の値上がりよりも重大なニュースであった。そして、その頃だらだらとしていた自然の勉強に本腰を入れるきっかけになった。

かわいそうという感想で終わらせてはいけない話。何故殺さなければならなかったのか、どうしたら雌のクマを殺さずに済んだのか。そもそも何故、それほど山奥でない県立の自然公園にクマが居るのか。

クマは怖い。出会いたくない。でも私は、大好きな桃の季節になり、その年初めての桃に無心にかぶりついているときに思う。美味しい!と木の実や果物にかぶりついている時にはクマもこんな感じなのだろうと。

クマはスーパーで買い物が出来るわけではない。あそこの木に美味しい果物がなっていると分かればそこに行きたい。しかも人間が美味しいものを食べている次元とはわけがちがう。真剣に食べ物を探さねば飢えて死ぬのだから。

でも「人間は怖いしあそこに行けば怖い目に遭う」と分かっていたら行かないのだ。クマを怖い目に遭わせることを怠ったのは人間だ。緩衝地帯を無くし、クマを森から出て来させたのは人間だ。村の犬社会を無くし、犬に愛玩度を求め小さな犬を屋内で可愛がるようになったのも人間だ。

同じ森を共有しているけれど遭わないほうがお互い幸せ。意図的に遭うのであれば、道具を持つ人間としては、真剣に礼儀を持って対峙するべき。マタギの儀式やイオマンテなどに、考えるべきところは大きい。

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