宇宙と繋がった日のこと
もう本当にあやういタイトルであることは承知のうえで、 森林メモでは無く、個人的な覚え書き。
2021年だったと思う、あの日波打ち際で見たものが私にとって大きな転換点となった。
夏以外の季節に波打ち際を散歩するのが好きで、その日も寄せては返す波をじっと見ていた。
少し勢いのある波が砂浜に寄せる時、一瞬立ち上がって僅か数十センチの透明な水の壁が出来る。
その透明感と波が立ち上がるリズムは、いつ見てもいつまで見ていても飽きない。
あの日、そんな風にぼんやり波を見ていた時に突然、波が崩れる前の一瞬立ち上がったその透明な部分に「ここに全部がある」と思ったのだ。 その波の透明な壁を通して、宇宙というのは少し大袈裟だが、一瞬で世界を旅行したような気分になった。
啓示、というものがあるとしたら、こんな感じなのかもと思った。
この気持ちを誰かと共有することは難しいだろうし、しようと思わない。他人と共有出来る表現をする能力も私には無い。
大好きな本、ローレン・アイズリーの「星投げびと」の中に「無邪気な子ギツネ」というエッセイがある。
アイズリー博士が子どものキツネと無心に遊んでいた時の描写で、子ギツネの顔に「小さな笑っている宇宙」を見る場面がある。そこを読んだ時に、私が波の立ち上がりに見たのはこれに近いと思った。
あの時のなにかと繋がった感覚と同時に、自分の中からなにかが消えた気もした。
多くの人が必要だとか大事だとか言っているからといって、自分に必要だとは限らないものが沢山ある。それはもともと要らなかったものなのかもしれないが、生きていると色々情報が多すぎて、自分にとって要不要の選択の基準が揺らぐし自信も無くなる。でも、しっかりと「要」のほうを突き詰めていければ良いのだろうと感じた。
放てば手に満てり、は真実だ。
そういう意味では、一連の自然に関する勉強は、世の中的には不要(収入にも繋がらないし)でも私にとっては必要なものだったし、版画制作にもきっと繋がっていくのだろうと思う。
※写真は海の上を漂う桜の花びら。海の上で、わりと陸地から離れている地点でも、春には桜の花びらや蝶を見たりする。