正しくない勉強法

真夜中、スダジイの実の落ちる音で目が覚める。
寝ていても人間の細胞が起きているのと同じで、植物も夜に寝ているわけではない。

一次試験まで二週間程度。
もはや「~について300字以内で述べよ」系の問題を練習している時期ではないので暗記すべき事柄をひたすらやる。

分野的に、暗記が正しい勉強方法でないのは分かっているが仕方ない。
たとえばスダジイとコジイの違いを述べよといった問題。
家の周りはスダジイだらけだが、コジイは実物を見たことがない。

スダジイの葉や実を採取した物を持って、コジイを見つけに西日本の森に分け入り、
樹皮の違い含めて見比べる、というのが本来の正しい学び。だと思う。

しかし残念ながら、北海道にしかない樹種や日本海側多雪地帯に多い樹種も試験問題に多く出るので、
試験までに目にする機会を持てないまま、図鑑で見るだけで暗記することになる。

そんな中、息抜きに勉強と並行して読んでいた大竹英洋氏の著書で、

「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない。」

という、レイチェル・カーソンの言葉に出会ってしまう。
これは、「鳥の名前すら知らないのに、自分のこどもに自然のことを教えるなどできない」
という親の嘆きに対してカーソン氏が答えたものらしいのだけど。

今の自分は、正解ではないやり方だけど地道に覚えるしかない状況。久しぶりに暗記ペンとシートを使った。

大竹氏の本に引用されていた言葉、他にもメモしておく。

「最も速い旅人は、足で歩く人である」ソローの言葉。

「ひと粒の砂の中に世界を、野の花の中に天国を見いだすこと。
手のひらの中に無限の広がりを、そして一時間の中に永遠をつかみとること。」ウィリアム・ブレイクの言葉。

写真はカマキリの赤ちゃん。お尻をあげて威嚇している、こどもカマキリ特有のポーズ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

前の記事

プラごみが作る揚げ豆腐

次の記事

一次試験を終えて