プラごみが作る揚げ豆腐
森林勉強のメモではないけれど、全ては繋がっているので、全く無関係でもないのでメモしておく。
プラスチックゴミで生計を立てているインドネシアのとある村の話をTVで見た。
バナナの木がぽつりぽつりと育つ村には、海外からの大量のプラごみがトラックで運び込まれていた。
細かい短冊状に切られたもので、風でまう。それらを分別して売ることで生計を立てているのだという。
大きな塊や、金属の含まれているものは高価になる。以前は仕事がなく家族を食べさせられなかったが、
これで養えるようになったと、プラごみを持ち込むトラックが来るのを待ち侘びている。
分別して残った大量のプラゴミをどうするかというと、なんと燃料にしているのだった。
燃料用としてプラごみが持ち込まれた先は、食品工場であった。プラごみを燃やして揚げ豆腐を作っている。
工場の屋根からはもうもうと黒い煙があがっているその中で、女性達が楽しそうに豆腐を揚げる。
工場オーナー夫妻いわく、仕方なくしていることだという。
木材を燃料にするよう言われて一度そうしたが、火力が弱い上にコストがかかって、赤字になるのだそうだ。
それで再度プラごみに戻したのだという。
燃料用木材のコストを下げることが必要だが、それで困る人が居る。
豆腐工場の仕事がなくなって困る人が居る。どうしたらいいのだろう。
豆腐工場で働く一人の男性は、病気の妻の介護もしていた。
妻のためなら、どんな仕事をしていようが恥ずかしくない、と。
私は無宗教だが、彼は神だと思った。
豆腐工場のひとはみんな笑顔なのだった。しかし、みんなそれぞれの事情で、心では泣いていた。
感動している場合ではない。
自分の住む国から出たプラごみが、豆腐工場の村に行っているのだ。彼らを表向き笑顔にしているのだ。
環境に悪いのも本当は分かっている、周りからも色々言われていると分かっている、でも、変えられないのだと彼らは言う。
もはや自分の住む国は先進国ではないかもしれないが、それでも、プラごみを人に押し付ける側の国だ。
私たちは変えられるか?今の暮らしを変えられるだろうか。
気づいたらこうなっていた。一つ便利になるたびに、立ち止まらねばならないと感じた。
一つ都合よくなるたびに、どうしてそうなったか考えねばならないと思った。
消費することが自己目的化しているような多くの人々のおかしな暮らしが環境破壊を手伝っており、
人々を苦しめていると同時に人々の生計を支えているという歪んだ事実。
多くの不都合が人の命を繋いでいるということに対して、自分はどうしたらよいのか。無力が過ぎる。
アイズリーの「星投げびと」ではないが、地道に何かをやることなら、少し出来るだろうか。
(ローレン・アイズリー「星投げびと。」浜に打ち上がったヒトデを海に向かって投げ返している老人のはなしが出てくる。)
流される前に、その心地よさ手軽さにいちいち立ち止まって、考えることなら、少し出来るだろうか。
日々絶滅していく動植物、こんな世界からは逃げるが勝ちだといって絶えていく気がしてしまう。